他拠点生活っていうのは移動できないと特に意味がないってこと
イタリアに住んで、夏休みに1−2ヶ月日本に帰るっていう生活を10年くらいしていた。
他拠点生活なんていうとかっこいいけど、
よく誤解されたけど、
・飛行機が安い5月末〜6月に出発
・実家など、家がある(=ホテル代がかからない)
という条件であれば夏休みを日本で過ごすのは交通費+食費だけだ。
この家があるというのが大きい。実家がなかったら帰れなかった。
私の夏休みは(私の)実家から(夫の)実家へと移動する10年だった。と、去年から過去形になったけど。
それでも二つの全然違う場所を、旅行者というには長い時間住むことでいろんな発見はあった。定点観測というか。日本も変わったし、私のイタリアに対する視点も変わった。気がする。
イタリアはずっと移動規制があったんだけど。やっと最近解除された。他の州にいける。
オリンピックとか本当どうでも良くて。やる意味がわからない。パンデミック終わってないじゃん。イタリアで40代の私は多分6月か7月にワクチンを打つと思うけど、日本はどうなんだろう?オリンピックまでにみんな打つの?
で、足がオリンピックに出れるほど早くないし、スポンサーにもなれない私は日本に帰れないわけですよ。実家のある広島まで大阪か東京の空港から公共交通機関を使わずに帰れという無理ゲー。もしくはホテルに2週間自腹で泊まるとかしんどい。大事な人に何かあってももう会えないっていうのは、こっちでも同じだけどね。
分からないと認めたあとに、分かうとする努力・勉強の必要性があった。それを考えないで来てしまったことを反省している40代。いつまでも誰かが決めてくれると思ってた。小学生か。
「むつかしいことはわかならい」なんて平仮名で言ってる人たちに「そうですね・わたしもですよ」なんて、思ってそこでストップしていた自分を反省する。分かろうともっと勉強しようと。本を読んだり。やることがくさんあるね。心の師RMさんみたいに、いろんな本をもっと読もう。可愛いおバカさんごっこはダメだな。
次回、イタリア語を習う
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