日記)運動と社交とファッション
6月20日
きつめの運動を復活したので、家にあったランニングの本を思い出して読んでみる。やっぱり筋肉がたりてないなと思う。そういえばこの本を買ったのも、ランニングシューズを買ったのもだいぶ前だな、と思った途端にランニングシューズが結構な年季ものでメッシュの部分に穴が開いていたり、色が少しはげいてることに気が付く。
それまでも目に入っていたはずなのに、急に目に入ってくるこの現象には多分なんらか名前があるはず。
前描いた→
腹筋したけど3cmくらいしか体が持ち上がらない。子どもの頃もっとスイスイ上がってなかった?
久々に社交というか、普段会わないタイプの人に招かれ昼食をを一緒に食べた。こういう、イタリアの人たちに会う時だけ服にアイロンをかける必要があったことを、出かける前に思い出す。Tシャツでも半ズボンでも全部。出かける前の一手間みたいなの。こういうの1年以上してなかったな。社交の復活はそれなりにめんどくさい。楽しいけど。
ここで人に会う時。
相手と状況にもよるけど、基本的に高価な服や鞄を身につけている必要は全くない。だけど、ヨレヨレしているのはアウト。それだけで自分が落ち着かなくなることになるので、絶対にアイロンだけかける。これは自分が辛くならないためのルールみたいなものだ。普段の私はアイロンをかけない。イタリア人はたいていアイロンマニア。
クレイジーリッチアジアンという映画で、婚約者の家でのパーティーに招かれた中流のNY育ち中国人が、地元で選んだ服でパーティーに参加しようとする場面があった。婚約者は「服なんてなんでもいいよ」な感じだったが、シンガポール在住の友人がその服では地味すぎて豪華すぎる場所にあわないからと、服を貸すというシーンがあった。教えろよ婚約者!って本気で思った。
こういう風に、その場所と状況で浮かない服を選ぶっていうのは、その地域の風習に慣れていない人には難しい。そして、浮いた格好でいるということは、人の注目を集め、自分自身がさらに居心地が悪く感じるものだ。意思をもって自分らしさを通すというのとは違う、なにかがある。
これは本当に難しくて。例えば日本のノリで全身黒のスーツでイタリアであまり親しくない人のお葬式に参加したら、それは目立つ。もっとカジュアルだから。イタリアで「友達と会うだけ」と家着で近所に出かけたら、みんなが決めてた時とか。教えてよーって思うけど、どんな時に何を着るかっていうの、明文化されてないけど、どこでもルールある。むずかし。オフィスカジュアル的な。
ちょっと年上の人たちの後ろ姿を見ながら、肘が気になった。
シワがあってたるんでいるのだ。「ああ、こんなところが歳をとるんだな」って帰って鏡で自分の肘を確認したらしっかり同じようにたるんでいた。体ってすごい。いつの間にか勝手に老いている。おもしろ。腹筋ができなくなるわけだわ。
今日、twitter で知ったブランド。
sunnei
アイロンかけるのをめんどくさがるくらいなのに、(イタリアの汚い)地面を引きずるくらいのワイドパンツ可愛いなって見てた。
日記を載せるいい場所ってどこなんだろうね。
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