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プロフィールを変えた、みんな遊びにくればいいのに

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  6月21日 プロフィールを変えた。   それに伴って、というか前から懸案であるHPをなんとかしたい https://www.wadashinobu.com/ 2021年に見返してみると。雑多だなと思っていた自分の仕事も、まぁ雑多なりに需要のあるところ、やりたいところを推していこうと思う。少し直した。 SNSのリンク先も必要だったのでまとめると、kポのアイドル並にSNSのチャンネルがあった。 Connect with WADA SHINOBU だ(BTSのyoutube のまね) HP https://www.wadashinobu.com/ Twitter https://twitter.com/shinoburun Instagram https://www.instagram.com/shino.img/ Fanbox https://wadashinobu.fanbox.cc/ Youtube https://www.youtube.com/channel/UCqLFGJZJN5htqGIdhSCD3Vg Podcast https://open.spotify.com/show/2itoceB4JfkbtaMFAlGXMIsi=Ksg88LALQ7G4blRhuyMZ8w&dl_branch=1 とはいえ、インスタは全然更新してないし、 YouTube も「もっと更新しないとフォロワー増えないよ」とダメだしされ続けている。 1 日のうち、午後の30分くらいを SNS を更新する時間として、ボチボチやった方がいいのかもしれない。1時間かかるかなぁ・ 友だちとやっているpodcast をとった。今回はトリノ観光について。動画撮りに行きたいなぁ・ イタリアではグリーンパス(ワクチン接種した・もうかかった・陰性の証明がある)を持っていれば、入国時の隔離期間が不要になった。観光業が大きな国なので、早く観光客に戻ってきて欲しいんだろう。 とはいえ、こんなに観光客のいないイタリアなんて本当に見たことないのでこの機会を活かしたい。普段は観光客が多すぎてしんどいとことか行きたい。ヴェネチアとかフェレンツェとかって思ってるうちに時間だけ経っている。日本における京都みたいな感じ。まぁ行かないのかな。電車で1時間の大都会ミラノすら行ってないし。いや、ミラノはパスポ

日記)運動と社交とファッション

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6月20日 きつめの運動を復活したので、家にあったランニングの本を思い出して読んでみる。やっぱり筋肉がたりてないなと思う。そういえばこの本を買ったのも、ランニングシューズを買ったのもだいぶ前だな、と思った途端にランニングシューズが結構な年季ものでメッシュの部分に穴が開いていたり、色が少しはげいてることに気が付く。 それまでも目に入っていたはずなのに、急に目に入ってくるこの現象には多分なんらか名前があるはず。 前描いた→ 腹筋したけど3cmくらいしか体が持ち上がらない。子どもの頃もっとスイスイ上がってなかった? 久々に社交というか、普段会わないタイプの人に招かれ昼食をを一緒に食べた。こういう、イタリアの人たちに会う時だけ服にアイロンをかける必要があったことを、出かける前に思い出す。Tシャツでも半ズボンでも全部。出かける前の一手間みたいなの。こういうの1年以上してなかったな。社交の復活はそれなりにめんどくさい。楽しいけど。 ここで人に会う時。 相手と状況にもよるけど、基本的に高価な服や鞄を身につけている必要は全くない。だけど、ヨレヨレしているのはアウト。それだけで自分が落ち着かなくなることになるので、絶対にアイロンだけかける。これは自分が辛くならないためのルールみたいなものだ。普段の私はアイロンをかけない。イタリア人はたいていアイロンマニア。 クレイジーリッチアジアンという映画で、婚約者の家でのパーティーに招かれた中流のNY育ち中国人が、地元で選んだ服でパーティーに参加しようとする場面があった。婚約者は「服なんてなんでもいいよ」な感じだったが、シンガポール在住の友人がその服では地味すぎて豪華すぎる場所にあわないからと、服を貸すというシーンがあった。教えろよ婚約者!って本気で思った。 こういう風に、その場所と状況で浮かない服を選ぶっていうのは、その地域の風習に慣れていない人には難しい。そして、浮いた格好でいるということは、人の注目を集め、自分自身がさらに居心地が悪く感じるものだ。意思をもって自分らしさを通すというのとは違う、なにかがある。 これは本当に難しくて。例えば日本のノリで全身黒のスーツでイタリアであまり親しくない人のお葬式に参加したら、それは目立つ。もっとカジュアルだから。イタリアで「友達と会うだけ」と家着で近所に出かけたら、みんなが決めてた時とか。教えてよーっ

辛かった時に助けてくれた本のおすすめ編集

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  ブログやpodcast では何度か書いたり、話したりしているけど。専業主婦が本当に向いてなくて辛かった。これ、ほんとに向き不向きだと思っていて。楽しめる人もいる。だけど、楽しめない人もいる。で、問題は「楽しくない」って言いにくいところで。 子どもも可愛いし、やることはたくさんある。これで満足すべきって、ずーっと自分に言い聞かせてみても、合わない。なりたくてなった専業主婦じゃなかったし、仕事は見つけられないから無職。本当に辛かった。 その悶々と悩んでいた時に読んで力をもらった本がこれです。 https://www.amazon.co.jp/dp/4864103631/ref=cm_sw_r_tw_dp_7PQ0M4QDCKQGJTWQ0E14 渡辺由佳里さん。 翻訳家で、エッセイストで、アメリカ暮らし。自分とは遠い世界の人。「どうせ、あれでしょ。費用のかかることを全く話題にもせずアメリカの大学とか行っちゃうタイプの人でしょ」くらいに思っていました。 が、全然違う。 外語大を反対されて経済的自立をまず目指すっていう。 これ、家庭にいなきゃいけない自分の状況が辛い人、自分の価値に悩んでる人に読んで欲しい。 音声 https://open.spotify.com/episode/2PMfvhG57jt5dMxhSkudFq?si=412198604b1a4679 YouTube(音声だけ) いいね 1 いいね

ナプキンいらないパンツが乾かない

  暖房をつけないけど、そこまで温かくないのでパンツが乾かない。生理の時の吸水ショーツ(ナプキンなしで履くタイプのパンツ)は二枚いることがよーくわかった。 生理時に使用するものなので一度履いてしまったら、脱いでアイロンをかけるというわけにもいかない(汚れてるから) というわけで、うっすらと湿った冷たいパンツを履いたままこれを書いている。この状態に名前はまだ無い。 生理痛でなんとなく薄ぼんやりした1日だった。朝、薬を飲んで、ボーッとしたまま1日を終える。散歩にも行けず。明日は行こう。 1621195373389.mp4 ダウンロード(1MB) ロッテファミリーコンサートの日でしたね。 ダンサーへの憧れはいつでもある。一時練習していたんだけど、また復活しよう。 ひざ 40越えてからだと思うけど。おばさんと自分のことを呼ぶのは卑下してるつもりはなくて。お姉さんでもおばあさんでもないから、おばさんというだけで。なんていうか、10ー20代の人に対して若いなぁすごいなぁと思うのと同時に、ある場面においては大人として彼らを守る立場になるのも、まぁ当然だよなって思うになっていて。 大人としての自分の呼称がおばさんっていう感じ。うまく言えないけど。 腹痛の前では皆平等。お尻が冷たいまま眠る。 おわり

それでもまだ先のことはわからない(note から移動中)

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  たまにこのノートを見つける人がいて、❤️がつく。 ここに書いたように、私がイラストレーターとして少しづつお金がもらえるようになったのは35くらい。30代で遅い、40代で仕事がなくなるとか言われる世界では、これはかなり遅いけど、私にとっては全然遅くない。 広島で知名度の低い美大を出たら就職氷河期。地方には無いし、自分程度のスキルでは無理だろうと美術・デザインの仕事ははなから諦めて、事務の仕事で働いて。なぜだか仕事を続けられなくて、働いてお金が貯まったら旅行して。また働いて税金払ったらなくなって。奨学金だけは必死に払って。お金がかかるから人にも会わずに自宅に引きこもって。結婚して30で子供が生まれて。イタリアに移住して。 移住して心機一転と思ったものの、産後なのか、環境の変化のせいなのか落ち込んだりして。 そこで、収入のない辛さを味わい。 そこから、自分の能力と環境(言葉ができない・子供が小さく預け先がない・体力はある・手先は器用)から残った、大げさに言うと、唯一の希望が「絵を描いて収入を得る」ことだった。仕事の選択肢がいつでもあるわけではないと身に染みて分かったのはこのとき。 他に方法がなかったのだ。 ランサーズとかクラウドワークスとかで、いろんな案件に応募しまくった。 こうしたサイトがイラストレーターの価値・単価を下げているという声も聞くけど、そこから始めた私としては、サイトの存在が私を助けてくれたと思っている。 最初は知識も道具もなくて、鉛筆で描いて写真をとって色ぬりをした、ひどいものだった。 納品データのことがわからず、うまく応募できないこともたくさんあった。本当に手探りで、ネットと本から全ての知識を学んだ。 だから失敗もたくさんあった。次の仕事に繋がらなかったときは、「ああ何かを失敗したんだな」と思った。なんどもそんなことがあった。確認の方法は無かったけど。 (だから、最初からフリーじゃなくて、どこか会社に入って業界のルールみたいなの学んだ方がいいよっていうのには大賛成。でも、まぁできないときもあるし。実際私はできなかった。) イラストレーターでお金をもらうと決めた頃からブログをかくようになり、周りの人に知られてめんどくさくなりしばらく休んだ。そこから、noteに移った。 いつでも文章を書くのは自分の宣伝のためにやっている。仕事の依頼待ってます。漫画も描き

YouTubeとラジオと

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  サトウカエデ@nzkaede さんに現代短歌のおすすめを聞きました 歌人 加藤千恵さん @katochie1110 http://katochie.net/?cat=5 おすすめを人に聞くのが好きだ。 世の中には言葉を選び尽くされて、情報が適切に入ったうまいおすすめがあふれているんだけど。別にそれはいらない マンガ知識がないので、いろんな人に好きなマンガおすすめのマンガを聞いていた時期がある。そのときは、すすめられたらとりあえず1巻は読んでみることにした。結果、わかったのは、「人のすごく面白いものが自分にとっても、すごく面白いものになるとは限らない」だった。 基本的にマンガはだいたい面白い。で、(自分にとって)すごく面白いはその中でも少し。人から教えてもらうものはだいたい面白い。けど、すごく面白いがあるかどうかは別。その中に3割くらいすごく面白いがあればラッキー。そんなものだって気付いてからは、人におすすめをするのが気楽になった。 自分の好きなものが相手にとって好みではなくてもまぁ仕方ないなっていう諦め。ツボにハマらなくて当然って思えるようになったから。だから、気にせずどんどんおおすすめして欲しいし、おすすめしていきたいと思う。ある日思い出して、どハマりするかもしれないし。 目のラインを際だけ描いて、あとはまつ毛で描くのにハマっている。 ドラマドラマドラマ ・ムーブ トゥ ヘブン ・ヴィンチェツォ ・ナビレラ ・ロースクール  ・シシューポス 全部終わって欲しくなくて、どれも間を開けながら見てる。

note 文体とは

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 note を愛用していた私だけど。 私の書くものは一体note文体なのだろうか?そうだと言われたらいや違ういますよ!と思うし。そうじゃないと言われたらそうですよ!と思うし。よくわからない。自分語りっていうとこではそうなのかもねとは思う。 描いてるものと反対のものを描きたくなる。 線の太いパキッとした絵を描いていると、その反動で休憩には細かいものを描きたくなる。絵を描く人だと良くあることだと思うけど、絵を描いて、その休憩に別の絵を描く。その時には仕事の絵と違う絵を描く。 これがもし料理が好きな料理人だったら、ずっと料理を作ったり。パズル作家が作る合間に人のパズルを解いたり、作家が小説の合間に別の小説を書いたりするのだろうか? しなさそう。なんとなく。 高田明美っ子なので。影は紫。 下の方の絵はモデルがないと描けない。 あと、Twitterのspaceでイラストレーターが「細部を描くのが好きだから、最大限画像サイズをあげてる」というようなことを仰っていて。細部ね・・と思いながら描いたら楽しかった。急ぎでなければいくらでも描きたい。 散歩に行って、mocriで人と話していたら突然のヒョウからの土砂降りにあった。雨降りそうだなと思ってレインコート(防水のウインドブレーカーってなんていうの?_を着ていたので良かったけど。びしょ濡れになった。そして家に帰ると、家は家でバタバタしていた。そんな日もある。 そのあと、人のspaceをラジオがわりに聴きながら、気付いたら寝ていた。 space開いてみたけど、「これは。。誰か呼ばないと一人?」ってなった。1分くらいでしれっと終了。なんだろう、不特定多数が聞いてる状態で誰かと話すのと、mocriみたいにクローズでやるの。どっちがいいだろう?と思うと、やはりクローズかなぁ。うーん。わからない。今度誰かを誘ってやってみよう。でも、人の話を聞くのは面白いんだよなぁ。インタビューというか、知っている人でも普段はしないその人の話を聞くのは面白い。意外に知らないことだらけだ。 その前に、以前とったpodcast を編集しなくては。 次回音声を編集してYouTubeにあげるまでに私がしていること

他拠点生活っていうのは移動できないと特に意味がないってこと

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イタリアに住んで、夏休みに1−2ヶ月日本に帰るっていう生活を10年くらいしていた。 他拠点生活なんていうとかっこいいけど、 よく誤解されたけど、 ・飛行機が安い5月末〜6月に出発 ・実家など、家がある(=ホテル代がかからない) という条件であれば夏休みを日本で過ごすのは交通費+食費だけだ。 この家があるというのが大きい。実家がなかったら帰れなかった。 私の夏休みは(私の)実家から(夫の)実家へと移動する10年だった。と、去年から過去形になったけど。 それでも二つの全然違う場所を、旅行者というには長い時間住むことでいろんな発見はあった。定点観測というか。日本も変わったし、私のイタリアに対する視点も変わった。気がする。 イタリアはずっと移動規制があったんだけど。やっと最近解除された。他の州にいける。 オリンピックとか本当どうでも良くて。やる意味がわからない。パンデミック終わってないじゃん。イタリアで40代の私は多分6月か7月にワクチンを打つと思うけど、日本はどうなんだろう?オリンピックまでにみんな打つの? で、足がオリンピックに出れるほど早くないし、スポンサーにもなれない私は日本に帰れないわけですよ。実家のある広島まで大阪か東京の空港から公共交通機関を使わずに帰れという無理ゲー。もしくはホテルに2週間自腹で泊まるとかしんどい。大事な人に何かあってももう会えないっていうのは、こっちでも同じだけどね。 「わからないことをわからないと言える、そんな君は強い。」無知の知、偉いと。そこばかりもてはやされて。「そうだよね!分からないって言っていいんだよ!」なんて思っていたけど。わからないことは分からないと言うのは全然いいけど、そこで止まって自分はダサかったなって今は思う。 分からないと認めたあとに、分かうとする努力・勉強の必要性があった。それを考えないで来てしまったことを反省している40代。いつまでも誰かが決めてくれると思ってた。小学生か。 「むつかしいことはわかならい」なんて平仮名で言ってる人たちに「そうですね・わたしもですよ」なんて、思ってそこでストップしていた自分を反省する。分かろうともっと勉強しようと。本を読んだり。やることがくさんあるね。心の師RMさんみたいに、いろんな本をもっと読もう。可愛いおバカさんごっこはダメだな。 次回、イタリア語を習う

熱が出た

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note を書かなくなったら、とんと文章を書くことが減ってしまった。このブログも使いにくいし。なんとなく人の気配がある方がいいから、はてなブログにすればいいのかな。メルマガもいいんだけど、「知ってる?メルマガって人の受信箱にずっと残るんだよ?」と思うようになってから妙に気が重い。誤字がすごいし、1年で考えなんて変わるし。 ・・・・・・・・・・ 土曜日くらいから寒くて、子ども1が「喉が痛い」と言ってるな〜と思っていたら、火曜から調子を崩しわたしが発熱。翌日には子ども❷が39度台の熱。 とりあえず子ども❷は解熱剤。私も子ども❷も20時に寝る生活を2日続けて回復したけど、子ども2は小児科の先生からPCR検査を受けるようにと予約される。もし子ども❷が陽性だったら私も、というか家族全員がPCR検査を受ける。そんなわけで子ども❷が陰性だと分かるまではプチ隔離。 風邪だと思うけど、もしかするとコロナかもしれないなっていう落ち着かない感じ、気持ち悪い。つい先日も訃報を聞いたし。本当やだ。 タイミングよくネットで注文した南イタリアのオレンジが届いたので、薬代わりに絞って飲んでいる。1日で半分以上飲んだ。 小学校のときから、調子が悪い時に体温を測るのが好きだ。37度を超えると学校に行かなくても良い。朝のくじ引きみたいな感じでちょっとでも調子が悪いと熱を測っていた。元々平熱は35度台をキープしているので熱が出ることはあまりなかった。 体温低い人あるあるだと思うけど、36度台後半くらいから「熱が出てます」と感じる。調子が悪いぞ、こめかみのあたりがぼーっとするぞってなると大体36.8度。だから熱が出てますともいえない程度で、不調になる。 体が弱い人、よく熱を出すっていうタイプの人が微熱でも平常運転できますっていうのを見ると、体は一人一人違ってて数値だけでは測れないなって思う。 健康大事。睡眠が大事。 体温が高い方が体に良いみたいなブームがあった。今もあるのかもしれないけど。体温が何度あがると体が活性化するから体温を上げる努力をしようみたいなあれ。病気治りますけいのあれ。 そして冷やさない教。小中高では無理やりスカートをはかされて、なんなら靴下の丈まで決められていたのに20歳をこえると、冷やすなという。それまでの体はなんだったんだろう?冷えても平気な体から、突然冷えてはいけない体に突然変わった

仕事はなんですか?と聞かれると困る 1

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  30歳から始まった外国での専業主婦時代に聞かれたくなかったのが「仕事はなんですか?」だった。 「会社員」とか「派遣社員」とか「バイト」とかそんな肩書きすらない自分は無性に居心地が悪かった。  同世代の働く人たちが眩しすぎて辛くて見れなかった。男性でも女性でも。夫ですら嫌だった。だって彼は働いているから。クリエイティブっぽい仕事(という雑な括り)の人たちはもっと見たくなかった。そこには絶対に辿り着けない自分と比較してしまうから。 もちろんそんな自分に、言葉をかけてくれる人はいる。 「子どもが小さいうちは仕方ないよ。」→両方やってる人たくさんいるじゃん 「子育ての経験は将来の役に立つよ」→ならなんで、世界中の社長たちは子育てやってないの?(今でも「経営者に子育てについて聞く」本当かウェブ記事とか見ると、ハァ?寝ぼけてるのかなって思う。)  自分が赤子の世話以外、誰にも求められないなっていうのを味わう日々だった。どうでもいいものを買うお金を稼いでいない自分。(なんらかのお金をどこかから、夫でも実家でも、もらって使うことに抵抗感があったし、今もある。自分のケアをなんてできない。だってケアにはお金か自分以外の人手がいるから。)  この専業主婦時代のの数年、仕事をしていなかった数年、で傷ついたのが自尊心だ。どれだけ、「子育ては大事。」「子育ては最高」と言われたところでも、一円にもならない。「お金じゃない大事なこと」ですよねー。なのになんで傷つくんだろう。  で、この数年が自分に残した影響はすごく大きく。  今でも、在宅で働いていても、自分に自信がない。名乗ったらそれになれるっていうから、「イラストレーター」ですと名乗り始めた。やっと仕事もできるようになった。でも、今も自信がない。 続く

月曜のニュースレターにするにはちょっと重い

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  久々に サイト (wadashinobu.com)  を更新した。去年1年間あまり働いてないような気がしたけど働いていた。漫画の絵が上手くなっていた。嬉しいです。 いつもの問題なんだけど画風や方向性が定まっていないことがサイトからもよくわかる。 画像からも分かる通り漫画っぽい絵を描くのは楽しい。だけど、正直1枚に時間がかかりすぎる。これを画面の隅々まで考えて書くとなるとやっぱり難しい。技術の問題。 話を聞くことの難しさ これはまぁ私の性格だけど、いろんな会に参加したときに、人の話をただ聞くより自分が話をさせてもらったときの方が満足度が高い。 お絵かき会という絵を書いて雑談する会をしているんだけど、その時はできるだけ参加してくれた人の話を聞きたくて、自分をミュートモードにしようとしている。(時々失敗して話過ぎてしまうけど) だからクラブハウスみたいな、「なんとなく名前を知っている人たち」が話をしているところをただ聞くだけみたいな場所に、そんなにハマれない。興味のあるピックの専門の人の話は面白いなと思うけど。それでも集中力がもたない。 あと、もう長いこと、酔っ払った人の話を聞くみたいな場所にいってないというのも大きいなと思った。酔っ払いの話をじっと聞く体力がない。そんなわけで話を聞くっていうのは難しい。 上お絵かき会だと、自分が描いたものについて話すって言う1つのルールがあるから話しがしやすいのかもしれない。酔っ払いもいないし。 見えないこと 日本の同性婚が一歩進んだ。ものすごく嬉しい。私はイタリア人のパートナーと結婚している。だけど、もしこれが同性同士だったら私は結婚していただろうか?。というかできなかった。イタリアでは結婚できるからイタリアに住むんだろう。 自分には見えていない、誰かへの障害がたくさんある。これだけは、わすれないようにしたい。 あの人の表面から理解できない選択には、それなりの理由があるということを忘れないこと。外国人のパートナーと一緒に生きるためには結婚するしかないのかもしれない。専業主婦/夫は、子どものケアのために仕事ができないのかもしれない。外国でフラフラしているあのひとは、ビザの問題で働けないのかもしれない。 ヘッダー問題 note のヘッダー用の画像を描くのはやめていたんだけど、久々に描いてアップして、またやめた。 正直言って怖い。どんな